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フォワード日和

はしもとの日々雑感③

投稿日時:2016/11/09(水) 11:24

 私がラグビーを始めたきっかけが慶応のラグビーにあることは、以前のブログでも述べた。自分が「やる」ラグビーは、ああいう風にひたむきでありたいと思っている。どうでもいいが、ラグビー伝統校である早慶明の「タテの明治」、「ヨコの早稲田」と比較して、慶応は「魂のタックル」がチームカラーとされている。タテでもヨコでもナナメでもない。
 一方、私が好きな「観る」ラグビーは南アフリカのラグビーだ。私みたいに身体が小さな人間にとってマネのできない、フィジカル重視のとにかく激しいラグビー。FWはステップなんか踏まずに、相手が前にいてもひたすら突進を繰り返す。タックルもめちゃくちゃ激しい。選手たちが血だらけになることも少なくない。生まれ変わったら、あんなラグビーを一度でいいからやってみたい。
 しかし、南アフリカのラグビーは、昨年日本にW杯で負けてから、あまりパッとしない。いま、南アフリカのスポーツは転換期を迎えている。国が、ラグビーを含むすべてのスポーツで有色人種の割合を60%以上にするように定めたのだ。本来なら、肌の色ではなく、選手のプレーで代表はセレクションされるべきだと思うのだが…。
 肌の色による差別つまりアパルトヘイトで、圧倒的多数を占める有色人種は、少数の白人たちに長い間、迫害されていた。その南アフリカは国際社会から非難され、W杯も第1、2回は出場すら許されなかったのは有名な話だ。上述の方針は、有色人種と白人の立場は異なれど、歴史を繰り返すものにならないか心配になってしまう。
 南アフリカでは、ラグビーは人気のスポーツで、国民の期待も大きい。日本ではありえないことだが、昨年のW杯で日本に敗北したとき、南アフリカの監督は国民に公式の場で謝罪した。それくらいラグビーのもつ役割は大きく、代表選手たちは、勝つことを運命づけられた存在でもある。そんな彼らが、肌の色だけでセレクションされていいのだろうか。
 1995年のW杯で優勝したとき、ラグビーを通して国は一致団結した。白人のスポーツとされていたラグビーが、有色人種のほうが圧倒的に多い南アフリカをひとつにした瞬間。肌の色ではなく、1つの楕円球が歴史を変えた瞬間。
 もう一度、その感動を味わってみたい。
  
 

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