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フォワード日和

はしもとの日々雑感⑥

投稿日時:2016/11/18(金) 10:43

 小学生のころ、誕生日に『歴史館』というこども向け歴史事典を買ってもらって以来、はしもとは歴史好きだ。医学の教科書を読んでいても、最初のほうにある「○△□学のはじまり」みたいなページが一番面白いと思っている。(ちなみに、そこは試験には出ない。)誰も興味を抱かないであろう些細な出来事を知ることは面白いと思うのだが、共感を示してくれる人は少ない。(笑)
 今回は、部員の誰もが興味を持たないであろう、日本ラグビーの黎明期にスポットライトを当ててみたい。
 1899年慶応義塾の教員だったE・B=クラークと田中銀之助が学生にラグビーを教えたのが日本ラグビーの始まりだといわれている。実際には、1874年に横浜でイギリスの船乗りたちがラグビーをしたことが記録に残っているが、日本で日本人がラグビーを始めたのは1899年が最初とみるのが正しいようだ。それから2年後の1901年。ケイオーは横浜外人クラブと初の対外試合を行った。試合の結果は35-5で外人クラブの勝利。ケイオーは1トライに終わったらしい。しかしながら、そのときのトライの様子がクラークの日記に面白おかしく残されている。
 「シオタというプレイヤーは、やっとボールをとり、敵のゴールポストめがけて全速力で駆け出した。彼はいいスピードで相手を抜き去り、あとはフルバックを残すのみとなった。いままでトライをとったことがない彼は、フルバックをどうやって抜こうか考えているうちに間近にまで来てしまった。タックルされるか突破するかの瞬間、『そこどけ馬鹿者!』と彼は割れるような大声で怒鳴りつけた。この思いがけない出方に相手側のフルバックは度肝を抜かれ、『まことにお邪魔しました』と言わんばかりに、獅子奮迅の士を通し、彼はやすやすとゴールポストの下にトライをあげた。」
 ラグビーをやるうえで、こんなことを知っていても何にもならない。しかし、慶応伝統の「魂のラグビー」の原点を垣間見ることができて、はしもとは幸せだ。
 シオタみたいな気迫(?)で、日曜日はトライをとりまくろう!
 

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