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フォワード日和

はしもとの日々雑感⑫

投稿日時:2016/12/06(火) 10:59

『はしもとさんご出身は?』
『東京です。』
『え?』
 
『はしもとさん血液型は?』
『AB型です。』
『あ~。』
 
 上は、自己紹介の際によく起きる会話だ。はしもとに投げかけられる『え?』や『あ~。』という発言の真意はともかく、今年の早明戦も『え?』や『あ~。』の連続だった。主にレフェリングに関して。試合後に明治の丹羽監督もレフェリングに対していろいろ言っていた。緊迫したゲームだっただけに、レフェリングに問題があったとすれば残念だ。まぁ、終わってしまったものをごちゃごちゃいうのはノーサイドの精神に反するので、これくらいにしておこう。
 そもそも、ラグビーが始まったころ、レフェリーは存在せず、反則が起きたかどうかは両チームのキャプテンの話し合いによって判断されていたらしい。それから時を経てレフェリーが存在するようになったけれど、30人もの人間が競技するなかでレフェリーが1人しかいないというのはなかなか興味深い。当然、レフェリーも人間だから、すべての笛が正しいとは限らないし、レフェリーが笛を吹かなければ『反則』にはならない。かと言って、レフェリーが見ていないなら何をしてもいいのかというと、それは間違いだ。紳士の国イギリスで生まれた紳士のスポーツは、時代を経てルールが変わっても、その精神を現代まで失わずに残している。(World Rugbyの『ラグビー憲章』を参照!)だからこそ、多くの人を感動させ、こんなにも魅力あるスポーツであり続けられるのだろう。
 この精神は、社会に出ても通用するものだと私は思っているし、医療の世界ではなおさらだと思う。disciplineがなければ、lawを守っていたとしても失格という点で。(もちろん、lawを守らなければ、sin bin/sent offになってしまう点でも、ラグビーも社会も医療も一緒だ。)一時期、ラグビー部員の不祥事がニュースをにぎわせたが、ラグビーというスポーツをやっているからこそ、そのような事件は残念でならない。
 『他人が見ていなくても、自らを律してプレーする』ことがラグビーには求められているし、そう信じられているからこそ、ラグビーのレフェリーは1人しかいないのだと思う。
 高校や大学では花園や大学選手権がはじまり、これからの時期はテレビやラグビー場で試合を見る機会も増えると思うが、ぜひ、プレーだけでなく、それ以外のことにも目を向けてみてほしい。
 
 

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