マッシードリーム号

西田先生の想い出

投稿日時:2011/02/09(水) 09:58

先日のOB総会でも話題になっていましたが、3期の西田先生が先月亡くなりました。私が防医大に着任した当時から監督として学生に気合を入れていました。お忙しい中、日帰りで菅平に来ていただいたり、学生への情熱は本当に頭が下がりました。その後、沖縄の伊江島の診療所に勤務されていた時、私がお隣の名護にラグビー指導に行った際、何度かお世話になりました。名護高校の監督さんが伊江島出身ということでフェリーで島に渡り、ご一緒に釣りなどで楽しみましたが、西田先生は釣りキチで大変でした。自分の船まで持って、昼休みはいつも海上に出て釣りを楽しむのが日課だったようです。自宅に泊めて頂いた時には、庭のパッションフルーツなど御馳走になりました。部屋には大きな伊江島の地図が張ってあり細かく何か書いてありました。患者さんの家や症状でも書いてあるのかと思いきや、いつどこで何がどれくらい釣れたか記録でした。地元の漁師さんも驚くほど良くポイントを知っていました。内地の人間ではなく、すっかり地元の海人になっていました。夜BBQの最中でも急患で呼び出されてもすぐに飛んでいき対応していました。本島の病院に搬送するのも台風で大変な状況でも漁師さんにお願いして無理して運んでもらったと聞きました。島を離れる際には、ひげ面でフェリーが見えなくなるまで岸壁から手を振ってくれました。島では本当に愛されていたお医者さんでした。診療所勤務が終わりこちらに戻られるのが決まると、村役場の人から、私のところまで電話があり、なんとか思いとどまるよう説得してくれと頼まれました。自分より上の人とは思い切り喧嘩して、下の人には自分を犠牲にしても優しく守ろうとする姿勢、ラガーマンの鏡でした。あまりにも早い別れはつらすぎます。最近お会いしていなかったので、信じられず、月末の追いコンあたりにひょいっと顔を出すのではないかと思ってしまいます。
                                                                                合掌

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