マッシードリーム号 2010/3/8

卒パ&追いコン

 written by 益子 俊志 投稿日時:2010/03/08(月) 18:10

週末は、土曜日卒業パーティーが京王プラザホテルでありました。卒業生が毎年感謝を込めて開く会ですが、卒業式は当然制服ですし、この日はみんな馬子にも衣装で着飾って華やかでした。特に女子学生は着物、ドレスと誰だか分らない変わりようでした。(笑)いつも楽しみなのはビデオです。国家試験前に良くこれだけ撮影して編集できると感心します。大いに笑いましたが、反面こいつらいなくなってしまうと思うと寂しくもなります。あと一週間何事もなく卒業式を迎えてほしいと思います。そして日曜日、こんな寒い日に試合をしたのは久しぶりというくらい雨の降る中追いだし試合をしました。OBチーム入って前半だけでしたが、学生と泥だらけになりラグビーを体感しました。ほんとは写真をたくさん撮ってお見せしたいところでしたがそれどころではない寒さでそのままシャワーに飛び込みました。3名の卒業生も元気にプレーし、最後は恒例の儀式で締めくくりました。その後新所沢に場所を変えて卒業生を送る会をしました。医学科学生、看護学生の卒業生の挨拶は重く在校生の心に響いたのではないでしょうか。いつも思うことはほんとにこいつら成長したなということです。あっという間の6年間、ラグビーを通して子供が大人へぐんぐん成長し立派な医師、看護師になっていくのだと。新たな旅立ちなので大いに祝福しなきゃと思っていても、寂しさがこみ上げて来てウルウルしてしまう場面も少なくありませんでした。とってもとってもいい会でした。卒業生の前途を祝福して乾杯!

京都舞鶴基地

 written by 益子 俊志 投稿日時:2010/03/08(月) 12:32

先日、京都の海上自衛隊観鶴基地に行ってきました。戦時中最後までラグビーをやっていたところという話を聞いてもし何か資料があればと思い、出かけてきました。昔の機関学校跡には舞鶴総監部があり、あまり戦災がなかったせいか明治からの建物がそのまま残っていました。私の先輩の話によると、機関学校ができたのは明治34年ですがラグビーが始まったのはもっと遅く、旧制高校の三高などと試合をやっていたようです。戦争が始まり、昭和16年には対外試合はなくなりましたが、部内対抗と称して昭和20年5月27日の海軍記念日までラグビーをプレーされていたようです。敗戦濃厚なそのような時期にラグビーをやってることの是非はともかく、英語を使いながら敵国スポーツを堂々とやっていたのはさすが海軍だと思います。イギリス海軍との関係が深くイギリス海軍にラグビーを指導されたのではないかと今でも思っています。また機会を見つけて江田島の士官学校に資料でも探しに行きます。舞鶴はもう一つ、引き揚げ船の指定港になっていて昭和33年まで引き揚げ船が入ってきました。「岸壁の母」の歌にもなったように、夫や息子を待つ母や妻が毎回岸壁に立ち、帰りを待っていたそうです。シベリアに抑留された方々の思いやその帰りを待っている気持ちを舞鶴の地に立って考えると複雑な気持ちになりました。やはり平和が一番です。夜は以前防医大学生課長だった教育隊司令の比留間1佐と舞鶴病院の先生方と大いに盛り上がりました。お世話になりました。

 

 

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