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甚謝[リレー日記]

 written by 内川 貴太投稿日時:2016/11/24(木) 01:21

引退が目の前に迫ってきた今、文字にして残しておきたいものがあります。6年生のこの時期になったら最後に書こうと決めていた内容です。いつもはヘラヘラしている僕ですが、今回は今まで周りには見せなかった面も含めて書き記しておきます。ちょっと暑苦しい内容になっているところはご容赦ください。



一年生のはじめ、水泳部に入部した。部活決定直前までラグビー部と悩んだのだが、ラグビー部は休みがない、厳しい、といった声も多く、最終的に経験のある水泳を選んだ。
ところが、水泳部に決まった後も隣の部屋の先輩はラグビーの勧誘をしに来た。本当に水泳部で良かったのか、ラグビー部の雰囲気の方が好きなんじゃないのかと自問自答していた自分は、ラグビー部の勧誘の必死さに圧倒され、水泳を1週間もやることなく転部していた。

こうして僕のラグビー人生は始まったわけであるが、ラグビーはそんなに容易いスポーツではなかった。タックルバッグは臭いし、自分より大きな先輩には簡単に当たり負けてしまう。常に体のどこかは痛い状態だった。毎日泥だらけになったジャージを手洗いしないと洗濯機にすらかけられない。さらに雑用その他仕事の大半は一年生に任せられることになる。
同期は自分を含めて3人だけだったため、一人当たりの仕事量は必然的に増える。押し付け合いにもなり、喧嘩ばかりした。正直、同期のことが嫌で仕方なかった。同期で飯に行くことなど滅多になかった。部活以外ではほとんど話さないし、むしろ水泳部の同期の方が仲が良く、なぜ転部なんてしまったんだろうかと後悔した。練習も毎日ハードで、休みも全然ない。自分を誘った先輩を恨んだりもした。毎日、いつこの部活を辞めてやろうか、そんなことばかり考えていた。


2年生の中頃、ずっと傷んでいる肩を見てもらいに病院へ行った。どこかが痛い、というのはラグビーにとっては当たり前で、「どうせ打撲か何かだろう、湿布を処方してもらおう」くらいに考えていた。
医師から言われたのは右肩関節反復性脱臼だった。名前の通り、繰り返し肩の脱臼をしてしまうものである。自分は関節がもともと緩いらしい。体が柔らかいのは良いことだが、関節が緩いと可動域が多い分、動いてはいけない角度まで動くことも多く、ラグビーなど激しいコンタクトスポーツをしていると怪我が多くなるそうだ。実際肩の骨が欠けており、例えるならゴルフボール(上腕骨頭)を乗せているティー(肩甲骨側)の外縁が欠けているような感じだ。肩の不安定感があり、ぶつけるたび激痛が走っていたのはこのせいだった。
このままラグビーをしたいなら手術しないと厳しいよ、親ともじっくり話して決断してね、と言われた。正直どうしたらいいかわからなかった。ただラグビーにも少しずつ慣れてきた時のことでもあり、とりあえず手術はした方が良さそうだ、そう思った。
肩の手術は完治に時間がかかり、ラグビーの試合に出られるレベルまで戻すのには1年弱かかる。2年生の終わりに手術を行ったため、3年生の間は怪我人としてサポートに徹することとなった。練習などをグラウンドの外から見ることも多く、実際にプレーしていては気付けないようなことにも目が行き、そこをああしたらいいのに、と考えたりも出来る様になった。それまではラグビーをこなすことで精一杯だった自分にとって非常に新鮮だった。ラグビーってこんなに面白いんだ、自分が復帰したらあんなプレーがしたいな、なんてことをよく考えていた。


3年生の終わり、およそ1年ぶりに出た試合が追いコン試合だった。思い描いている様なプレーはできなかったが、久々に試合ができてとても楽しかった。
これから本格的に頑張ろうと思っていた。
練習も全部できる様になり、タックルの練習も始めた頃のことだった。
「左肩も痛い」
右肩の手術をする際、左肩も少し痛むことは伝えていた。ただ右に比べれば損傷も少ない上、両肩を同時に手術することはできないこともあって、様子を見ていた。しかし、手術後は右肩をかばい、左肩メインでタックルしていたこともあったのだろう、復帰から1ヶ月もしない時点で左肩は右肩以上の損傷となっていた。


4年生になる時、
「ラグビーをやめなさい」
医師からそう言われた。
これから思う存分ラグビーできる、そう思った矢先だった。
ここで左肩を手術するとまた一年間ラグビーができなくなる。非常に残酷だった。この頃には安静にしていても肩は痛むようになり、タックルに行くとほぼ100%の確率で肩が外れるようになっていた。まるでそこにあると分かっていながら剣山を踏みに行くような感覚だ。
ある日の練習の途中、グラウンドの外で指導してくださっている益子先生の元へ行き、膝に手をつき泣いた。
「もう限界です」
悔しかった。同期は試合に出て頑張っているというのに、自分はラグビーをすることすらままならない。情けなくて仕方なかった。
それから二日間ほど練習には行かず、体育教官室で益子先生と話し続けた。別に無理してプレーする必要はない、サポートする側に回ったっていいじゃないかと。
3年生の間怪我人として外から見ていた間に得たものは確かにあったと思う。しかしつまらなかった。寒い日も見ているだけ、練習の合間にドリンクを渡す、みんなのフィットネスの準備にコーンを並べる。自分の存在意義は何なんだろう、いる意味があるのか、と思えて仕方なかった。仮にこの時点でサポートする側に回ったとすれば、6年生で引退するまで約三年間もそんな状態が続くことになる。
36期の和田さんや37期の芹沢さんは途中からサポート側に回って頑張ってくれていた。非常に助かったし、尊敬した。
でも自分には無理だ、そう感じた。
「ラグビーをやるか、出来ないなら部活を辞める」
散々悩んだ結果、薬でなんとか痛みを和らげ、騙し騙しやろうと決めた。


5年生、責任学年になった。正直肩はボロボロになっていた。
医師から
「ラグビーをやめるか、人間をやめるかどっちかにしろ」
こう言われた。
当時バックスリーダーだった自分は、自分がやらないのにバックスを率いることなんて出来ないと思った。なんとか今年だけ、責任学年の間だけはやらせてくれと担当医に懇願した。
ボルタレンの量は1日に10錠を超えた。よく血を吐くようになった。
痛みは増すばかりで、練習中も苦しくて仕方なかった。練習の合間には先生方からのアドバイスがあるが、肩の痛みをこらえるのに精一杯でとても聞いていられる状態ではなかった。
練習が終わるたび、シャワー室で涙を流した。周りには大丈夫だから、と言っていたが、全然大丈夫なんかじゃなかった。
シーズン中はアタックでも肩が外れるようになり、注射を打ってもらった。
そして迎えた5年生シーズン最終戦。昭和戦。
肩も限界に来ていた僕は、ここでプレーをやめようと考えていた。残り三年ある状態でのサポートなら辛かったが、6年生の間だけのサポートなら耐えられるだろう。人生最後の60分、死ぬ気でやろうと。
結果は7-10で敗北。全然良くなかった。結果的には準優勝となったものの、打ち上げでも全く喜べなかった。
ここでプレーを止めることは出来なかった。


6年生、こう言われた。
「医者になるんじゃないのか、君は。何になりたいんだ。幹部候補生学校のことを考えても夏休み中に手術しないとタイミングはない。」
寝ていても脱臼する、自転車に乗っても脱臼する。日常生活に支障をきたしているため、手術が勧められる。
ここまでかと思った。脱臼を防ぐためにあらゆる手を尽くしたがどれも大した効果はなかった。
そんな時今年から防衛医科大学校に着任、ラグビー部のコーチをしてくださっている今田先生にダメ元で聞いてみたのが良かった。近鉄ライナーズの知り合いに聞いてくださったテーピング方法が物凄く効いた。今までも数々のテーピングを試してみたが、どれもイマイチだったにもかかわらず。

普段は照れくさくて言えないが、もし今田先生がいなければ、こうして6年生のシーズンを戦うことは出来なかった。いつも練習前にテーピングをしてくださっている今田先生に心から感謝したい。自分が学生の内に出会う事が出来て本当に良かった。

同期の仲も良くなった。あんなに飯に行くことすら拒絶していた同期と毎週行くようになった。3人で草津旅行をするまでの仲になった。昔はラグビー部で一番仲が悪い期と言われるほどだったが、今では一番仲が良い期だと胸を張って言える。一生付き合っていくことになる友人だろう。この期、この3人で良かった。

ラグビー部での六年間は自分を何倍にも成長させてくれた。
怪我をしてでも無理にやることが美徳だとは思わない。しかし六年間続けてきた今だから言えることがある。
「あとでやらなかったことを後悔するくらいなら今を全力でやれ」と。

もし、今一年生に戻れるとしたらどこの部活を選ぶかと言われても、もう一度ラグビー部を選ぶだろう。
六年間ラグビーをやってきて、本当に良かった。




あと一戦。
各々には胸に秘めた想いがあるはずだ。
ここで負けてしまっては最後の一年無理にプレーを続けた意味がない。
肩や手の痺れも酷くなってきているのは確かだ。力が入らない、そんなことがよくある。

でも、最後の60分間だけは。
六年間で学んだこと全てを出しきったプレーがしたい。
敵に強力なタテを差し込んでやりたい。
やりきった、そう心から言いたい。

最後まで走り抜いて
勝利を勝ち取りたい。

最高の涙を流せるように。

14期の塚嵜先生が講義をして下さいました![リレー日記]

 written by 内川 貴太投稿日時:2014/09/10(水) 16:35

本日4年生の授業にて、自衛艦隊司令部医務長であり防衛医大ラグビー部14期の先生である塚嵜先生が講義をして下さいました。

自衛隊における整形外科医療というテーマのもと、パシフィック・パートナーシップやジプチ派遣、パプアニューギニア派遣など非常に内容の濃い講義でした。幹部自衛官として、医師として、更にはラグビー部の先輩として、尊敬し参考にすべき点が多々ありました。お時間の許す範囲でまたグラウンドにも足をお運び頂ければと思います。
 


授業後に先生と
 

走る。[リレー日記]

 written by 内川 貴太投稿日時:2014/05/20(火) 00:08


橋本君も体重管理について書いてくれたので、今日はフィットネスリーダーとして真面目な話をしようと思います。

唐突ですが、ラグビーに求められる能力は大きくわけて3つあります。

一つ目は「走行能力」。陸上競技で求められる走りとは異なり、助走なしでいきなり最高スピードを出したり、急にスピードをゼロにするといった動きが必要となります。ボールを持つにしろダミーで走る時にしろスピードの緩急が何より大事で、特にバックスの場合、これによって相手をかわしてトライ出来るかに関わってきます。


二つ目は「格技能力」。これはもちろんタックルのことで、相手の腰より下へ鋭く入ることが出来るか、更にはタックルを受ける側としても相手に接触された後も倒れずに脚を掻き続けられるか。それに尽きます。


そして最後にあげるのが「専門的持久力」。これまたマラソンなどといった一定時間同じ速度で走り続ける競技と異なり、トップで走る→タックル→周りを見てポジショニング→またトップで走る、の繰り返しで特別な持久力を必要とします。実はこの三つ目の能力が最も大事なのですが、一朝一夕に身に付くものではありません。

大学医歯薬ラグビーが前半、後半30分ずつで行われる中で、典型的な動きのパターンは10秒間の強い運動と30秒間の休息の繰り返しだと言われています。これはバックス、フォワードによらず言えることで、生理学的に考えた場合、もし最大限の運動を10秒間行ったとすると次の30秒間の休息だけではとてもエネルギー補給が間に合いません。結果、30分×2の試合時間身体をもたせる為に常に最大以下のレベルで動くか、さもなくば時間経過に伴ってパフォーマンスの低下が生じてしまいます。
そこで上述した試合中に行われるパターン運動を繰り返し行い、一定時間の最大能力を引き上げることが合理的な戦略となります。具体的には10秒ダッシュ、30秒ジョグをただひたすら繰り返すだけのメニューなのですが、これが一番効果的なのだそうです。一朝一夕には得られない能力だからこそ、得られた時は非常に大きな武器となります。専門的持久力をつける為にも、これからのフィットネスメニューの参考にできればと考えています。


ここ3年間で、3部、2部、1部と上り詰めてこられたのはフィットネスに重点をおいてチーム力を高めてきたからであることは明らかで、今年1部で戦っていく上では更にブラッシュアップされたフィットネスメニューをこなしていくことが求められます。部員に過酷なメニューを強いるのは非常に心苦しく辛い立場ですが笑(もちろん自分も同じメニューをやってはいるものの)、今年1部優勝する為にも、効率の良いメニューを提供出来るよう頑張っていきたいと思います。


それでは次は筋トレリーダーの武川君、お願いします。
 

自衛隊中央観閲式に参列して[リレー日記]

 written by 内川 貴太投稿日時:2013/11/05(火) 23:23

武川君からバトンを引継ぎました、3年内川です。医歯薬リーグ初戦勝利に興奮冷めやらぬ中ではありますが、今回は先週行われた自衛隊中央観閲式に実際参列した感想を書かせて頂きたいと思います。

観閲式に関しての説明は武川君が書いてくれているので省略しますが、自分は幕僚として行進しました。幕僚というのは指揮官のすぐ後ろを歩く4人の内の一人で、僭越ながら防衛医科大学校学生隊2悌隊分(2ブロック)を率いる本部の一員として歩かせてもらいました。詳しくは下の写真をご覧ください。

3年に一度の行事であるため自分が参加したのも初めてで、約半年に渡る練習は正直かなり大変でした。特に10月に入ってからは3時半起床で幾度も朝霞駐屯地に出向いて練習を行い、満足のいくまで練習を続けました。自分だけが音楽に合わせて歩けても横列の腕が揃っていなければ意味が無く、また個人の歩く時に出るちょっとした癖が全体の綺麗さを求める上では障害となり、すこしでもそういったことを減らすことが何より大変でした。

100時間を優に超える練習時間ではありましたが、それだけ大変だったからこそ、本番で安倍首相に対する栄誉令を行った時にはジーンと来るものがありました。あとで映像を見るともっとこうすれば良かったと思える点も多々あり、惜しいところもありましたが、多方面から「防衛医科大学校の行進は良かったよ」という感想をきかせてもらえることができ、本当にこれまで頑張ってきて良かったと思えました。

観閲式で完全燃焼してしまった感もありますが、ラグビーはこれからが本番です。6連戦最後まで頑張り抜きたいと思います。
それでは作業員として支えてくれた橋本君からも観閲の話を聞きたいと思います。
 

1悌隊の行進です


本部列員


本部の行進‼‼右から2番目が僕です笑


本当にお疲れ様でした!!

PASDに気をつけて[リレー日記]

 written by 内川 貴太投稿日時:2013/09/30(月) 21:10

武川君からバトンを引継ぎました、防衛医大の愛之助こと3年内川です。半沢直樹に数多く出ている俳優さんの中でも、なぜ大和田常務でなく愛之助をチョイスされたのか、武川君の真意は図りかねますが、とりあえず今はそんな事に構っておられず試験期間を乗り切ることで精一杯なのが現状です。

半沢直樹といえば、最近よく並んで比較されるのが「あまちゃん」ですね。つい先日最終回を迎えたこの連続ドラマ小説、何と言っても空前のヒットだったそうで、挿入歌やサントラまでオリコンの上位に食い込んで来るという正に社会現象と言えるほどまでヒットしておりました。日本の冷め切った食卓に賑わいをもたらしてくれたと言っても過言ではなく、ネットでは「あまちゃんが終われば折角取り戻した夫婦の会話がまた途絶えてしまう」などといった書き込みもされていたようです。そこで生み出された造語、PASD(post Amachan stress disorder)、通称あまちゃん後ストレス障害なるものが大流行している模様。あまちゃんに毎日元気をもらっていた人々は心にぽっかり穴が空いてしまったといいます。

今現在試験のために昼夜通して勉強していますが、試験期間が終わった時に拍子抜けしてしまい、何もすることがない、という状態にならないようにしたいと思います。そこでぴったりなのがラグビーではないでしょうか。試験への熱意をそのままラグビーへの熱意へと変換し、シーズンを乗り切っていけたらいいじゃないですか。間には並木祭や観閲式も控えていますが、そのどれもに全力で当たれるよう、努力していこうと思っています。


ラグビーからは随分離れた話になってしまいましたが、この辺で同期の橋本君にバトンをまわしたいと思います。
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