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ブログ 橋本 悠さんが書いた記事

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はしもとの日々雑感⑩[フォワード日和]

 written by 橋本 悠投稿日時:2016/11/28(月) 14:47

 昨日、6年目のシーズンが終了した。結果は2年連続の準優勝。結果に満足はしていないが、来年も1部で戦うことができる。後輩たちがきっと素晴らしい活躍をしてくれるだろう。引退する私から後輩に要望することはただひとつ。ひたむきであること。大学からラグビーを始めたものの多い防衛医大は、体格もセンスも経験者の多いほかのチームにはかなわない。だからこそ、私たちはほかのチームよりたくさん練習するし、たくさん走る。センスがなくても、意識してプレーすることで強いチームに勝つ。これが私たちのラグビーだ。それに必要なのはひたむきさ。これに尽きる。後輩のみんなには、これからもひたむきにラグビーに取り組んでいってほしい。
 昨日の試合後、うれしいことがあった。私自身、試合が終わった後はあまり最後だという実感がなく、涙は出なかったのだが、後輩の多くが涙を流していた。そのうちの一人、PRの輿石は「先輩ともう一緒にラグビーができなくなると思うと寂しいです」と言って泣いていた。私自身、中谷・森の両監督にFLとして起用してもらい、グラウンドの中で後輩に何を残せたのかわからないが、私のことを思って泣いてくれるような後輩に恵まれたのは本当に幸せなことだったと思う。ラグビーをやっていてよかったと思った瞬間だった。
 今日からオフシーズンになるが、後輩のみんなには、常にラグビーのことを考えていてほしい。1年の栄は飲み会に向かう途中、「とりあえず、明日からオフになるので、ラグビー偏差値をあげるためにたくさんラグビーを観ます」と言っていた。(英語の勉強もヨロシク。)オフシーズンは体を休めることも大事だが、一方で、オフ明けからの練習に備えて、筋力やフィットネスを維持することも重要なはず。また、ラグビーを知らない下級生は、試合をたくさん見て、自分のポジションの役割を理解することも大事だ。ラグビーにどんどんかかわって、ラグビーを大好きになってほしい。
 最後に、明治大学監督の北島忠治氏(故人)の名言を紹介しておきたい。
 
『長い人生だから、数多くの障害物にぶつかるだろう。かわすことによって乗り越えられる障害物ならいい。しかし、本当に大きくて深刻な問題と直面したときは、体当たりで乗り越えていくしかない。それには、常日頃から、何事にも体当たりで進むように心がけていなければならないと思うんだ。いつものクセでかわしてやろうなんて思っていたら、足をすくわれて、きっと痛い目にあうだろう。とにかく“前へ”。ためらわずに“前へ”進め。それはつらく長い道のりかもしれないが、ゴールへの最も近い道であると僕は確信している。』
 
 私たちの「ゴール」とはいったいなんだろうか?
 それは、一人ひとり違うかもしれないが、ラグビーで勝つことはあまり重要なことではないと私は思っている。
  将来、医師・看護師として私たちは多くの問題に直面するだろう。
  そうしたときに、ラグビーで培ったものが役に立つのではないだろうか?だから、ラグビーを一生懸命やることに意味があるのではないだろうか?
  オフシーズン。いろいろなことを考え、感じながら後輩のみんなには過ごしてほしい。
 

はしもとの日々雑感⑨[フォワード日和]

 written by 橋本 悠投稿日時:2016/11/26(土) 19:12

 フォワード日和というコーナーが開設されて以来、「はしもとの日々雑感」と題して、日頃感じたことや考えたことを書きつづってきた。フォワードは8人だから、8回をめどに書くのを終わりにしようかと考えていたが、すでに今回が9回目になってしまった。もうこうなったら卒業までに15回分更新するしかない。さしあたっての問題は、国試…いや、ネタが尽きないかということ。でも、私たちがオフになっても、高校や大学のラグビーはこれからが本番。ネタはつきそうにない。よかったよかった。
 6年間の練習が今日で終わり、明日の試合を残すのみとなった。スタメンで試合に出る人、リザーブとして出番を待つ人、ケガなどで試合に出られない人。チームが28人もいると、当然試合に出られない人がいる。勝負である以上、勝ちにこだわる。そのためのメンバーがファースト。ファーストに入れなかったメンバーは、何かが足りなかったということ。それ以上でもそれ以下でもない。でも、試合にかける思いは彼らも一緒のはず。もしかしたら、彼らのほうが強い思いをもっているかもしれない。「なんであんなに頑張ったのに、試合で使ってもらえないんだ!」、「あいつより俺のほうがいいプレーをしているのに、なぜ?」彼らはこう思っているに違いない。そう、私が下級生のころ思ったのと同じように。私は2年生から公式戦には出してもらっているが、ファーストメンバーではなかった。悔しいというより情けないというのが当時の印象だった。(同時に、試合に出られることの喜びや達成感も感じることができたが、ファーストで出られない悔しさのほうが何倍も強かった。)不完全燃焼でそのシーズンを終えた私は、最終戦の翌日からオフ明けまで、ランニングを続けた。タックルダミーに入り続けた。「もうこんな思いはしたくない」と思いながら。自分を正当化するつもりは全くないが、ケガしていたときを含めて、試合に出られない時期があったからこそ、ラグビーをこれだけ好きになれたと思うし、試合にかける思いも強くなったのではないかと思う。だから、今シーズン試合に出られなかったメンバーも腐らず、怠けず、たゆまぬ努力をしてほしい。見ている人はいなくても、評価してくれる人がいなくても、必ず報われる日が来るはずだから。
 最後に、1995年W杯優勝時のスプリングボクスのキャプテン、フランソワ・ピナールの名言を。
『俺はたとえ腕が、足が、首が折れようともタックルにいく。』
 28人一人ひとりが、明日、自分の役割を果たそう。
 防衛医大の猛り狂うラグビーを見せつけてやろう!
 

はしもとの日々雑感⑧[フォワード日和]

 written by 橋本 悠投稿日時:2016/11/24(木) 09:14

〈北風のただ中に 白雪踏んで 球蹴れば奮い立つ ラグビー早稲田〉
〈白皚々の雪に居て 球蹴れば銀塊飛ぶ 黒黄の猛きしるしには 清浄の誉れ高し〉
 この2つは早慶2校のラグビー部部歌の歌いだしだ。「ラグビー」というのは俳句で言えば冬の季語だが、雪が吹き荒ぶなかでのラグビーというのも趣があるのかもしれない。伝説となった1987年の雪の早明戦も、互いのプライドをかけた名勝負だった。
 11月中に積雪になるのは実に54年ぶりの出来事らしく、今週末に最終戦を控える私たちにとって、グラウンドの状況は必ずしも好ましいものではなさそうだ。ただ、天候やグラウンドの状況も含めてすべてがラグビー。この1年間やってきたこと、6年間の思いをすべて出し切れるような試合にしたい。
 さて、昨日は早慶戦だった。体調があまり良くなかったので、テレビの前から観戦することにしたはしもと。結果からいえば25-23で早稲田の勝利。2010年以来の勝利を慶応は収めることができなかった。終わったことを言っても仕方ないのだが、試合を見ている中で、私は早慶2校の選手と私たち、今シーズンをともに戦った相手チームの選手たちを重ね合わせていた。
 互いに緊張からか、ミスを連発。慶応は前半、マイボールのラインアウトを5本連続で失敗した。早稲田も慶応のしつこいプレッシャーにブレイクダウンでのターンオーバーを何度も許した。「早慶戦は何が起こるかわからない」と今田先生もおっしゃっていたが、93回目の早慶戦もやはりそのような展開だった。伝統の重み、というのはこういうことを言うのだろうか。そして、最後はトライを狙いに行った慶応のタッチキックがデッドとなる。
 筑波戦も日大戦もキック1本の差で勝敗が決まった。点差はほんのわずかでも、勝者と敗者が決まる。明暗が分かれる。ワンプレーの重みを見ていて実感した。また、「ナイスゲーム」は自分たちの頑張りだけでなく、相手の存在によるところも大きいと思った。2010年の早慶戦も早稲田が強くなければ、慶応もその本領を発揮しえなかったかもしれない。
 見ていていろいろなことを感じ、考えさせられる早慶戦だった。早慶両校の選手には心からの拍手を送りたい。
 
 「ラグビーは人生だ。転んでもまた起き上がる。」
 2015年のW杯で日本に敗れた南アフリカの監督はこう言っている。まだ、6年しかラグビーに関わっていないし、二十数年しか生きていないが、確かにそう思う。
 11/27は最後の公式戦。
 思いの丈をぶつける場はもうそこにしか残されていない。
 1本のパス、タックル、スイープ…。ひとつひとつのプレーに魂を込めて。
 締めくくりにふさわしい試合にしたい。
 

はしもとの日々雑感⑦[フォワード日和]

 written by 橋本 悠投稿日時:2016/11/20(日) 21:30

 日大医学部戦。11-10で辛勝。本当に危ない試合だった。ホーム最終戦だということもあり、気合は入っていたのだが、私はプレーでそれを示すことができなかった。他のメンバーにも申し訳ない。「魂のタックル」は来週の獨協戦に持ち越しだ。
 さて、今日のレフェリーは下井真介さん。東京学芸大OBで現在は都内で小学校の副校長先生をされている。実は、私がラグビーを始めるきっかけになった2010年の早慶戦の笛を吹いていたのは彼だ。そんな彼の笛でホーム最終戦を締めくくれたことは、非常に幸せだったと思う。(来週のシーズン最終戦を彼の笛で締めくくれれば最高だったけれど。(笑))
 個人的な話になるが、私は、小中高と学芸大の先生にはものすごくお世話になった。勉強することの面白さやスポーツでも芸術でも本気で取り組むことの大事さを彼らに教わったと思う。そして、大学でラグビーを始めるきっかけになった早慶戦にも、学芸の先生のかかわりがあった。ラグビーから本当にいろいろなことを学んだが、それは少なからず彼のおかげだと思っている。どうやら彼らとは切っても切れない縁があるらしい。(笑)
 そんな彼らの影響もあってか、私の専攻は小児科だ。他の診療科とは違って、人間の成長に直接に関与する科だ。学校の先生と一緒で、こどもの成長を間近に見ることができるのが魅力だと思う。そして、少なからずこどもたちに影響を与えることができる。若いいのちの可能性は無限大だ。いろいろな道が彼らには開かれているのだから。
 「今の私があるのは先生のおかげです。」と成長したこどもたちに言ってもらえるような医師になりたい。
 そう、学芸の先生たちが私に影響を与えてくれたように。
 それが彼らへの最高の恩返しになるはずだから。
 

はしもとの日々雑感⑥[フォワード日和]

 written by 橋本 悠投稿日時:2016/11/18(金) 10:43

 小学生のころ、誕生日に『歴史館』というこども向け歴史事典を買ってもらって以来、はしもとは歴史好きだ。医学の教科書を読んでいても、最初のほうにある「○△□学のはじまり」みたいなページが一番面白いと思っている。(ちなみに、そこは試験には出ない。)誰も興味を抱かないであろう些細な出来事を知ることは面白いと思うのだが、共感を示してくれる人は少ない。(笑)
 今回は、部員の誰もが興味を持たないであろう、日本ラグビーの黎明期にスポットライトを当ててみたい。
 1899年慶応義塾の教員だったE・B=クラークと田中銀之助が学生にラグビーを教えたのが日本ラグビーの始まりだといわれている。実際には、1874年に横浜でイギリスの船乗りたちがラグビーをしたことが記録に残っているが、日本で日本人がラグビーを始めたのは1899年が最初とみるのが正しいようだ。それから2年後の1901年。ケイオーは横浜外人クラブと初の対外試合を行った。試合の結果は35-5で外人クラブの勝利。ケイオーは1トライに終わったらしい。しかしながら、そのときのトライの様子がクラークの日記に面白おかしく残されている。
 「シオタというプレイヤーは、やっとボールをとり、敵のゴールポストめがけて全速力で駆け出した。彼はいいスピードで相手を抜き去り、あとはフルバックを残すのみとなった。いままでトライをとったことがない彼は、フルバックをどうやって抜こうか考えているうちに間近にまで来てしまった。タックルされるか突破するかの瞬間、『そこどけ馬鹿者!』と彼は割れるような大声で怒鳴りつけた。この思いがけない出方に相手側のフルバックは度肝を抜かれ、『まことにお邪魔しました』と言わんばかりに、獅子奮迅の士を通し、彼はやすやすとゴールポストの下にトライをあげた。」
 ラグビーをやるうえで、こんなことを知っていても何にもならない。しかし、慶応伝統の「魂のラグビー」の原点を垣間見ることができて、はしもとは幸せだ。
 シオタみたいな気迫(?)で、日曜日はトライをとりまくろう!
 
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