マッシードリーム号

京都舞鶴基地

投稿日時:2010/03/08(月) 12:32

先日、京都の海上自衛隊観鶴基地に行ってきました。戦時中最後までラグビーをやっていたところという話を聞いてもし何か資料があればと思い、出かけてきました。昔の機関学校跡には舞鶴総監部があり、あまり戦災がなかったせいか明治からの建物がそのまま残っていました。私の先輩の話によると、機関学校ができたのは明治34年ですがラグビーが始まったのはもっと遅く、旧制高校の三高などと試合をやっていたようです。戦争が始まり、昭和16年には対外試合はなくなりましたが、部内対抗と称して昭和20年5月27日の海軍記念日までラグビーをプレーされていたようです。敗戦濃厚なそのような時期にラグビーをやってることの是非はともかく、英語を使いながら敵国スポーツを堂々とやっていたのはさすが海軍だと思います。イギリス海軍との関係が深くイギリス海軍にラグビーを指導されたのではないかと今でも思っています。また機会を見つけて江田島の士官学校に資料でも探しに行きます。舞鶴はもう一つ、引き揚げ船の指定港になっていて昭和33年まで引き揚げ船が入ってきました。「岸壁の母」の歌にもなったように、夫や息子を待つ母や妻が毎回岸壁に立ち、帰りを待っていたそうです。シベリアに抑留された方々の思いやその帰りを待っている気持ちを舞鶴の地に立って考えると複雑な気持ちになりました。やはり平和が一番です。夜は以前防医大学生課長だった教育隊司令の比留間1佐と舞鶴病院の先生方と大いに盛り上がりました。お世話になりました。

 

 

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