リレー日記 2009/12/21

負けてられん

 written by 塚本 旬 投稿日時:2009/12/21(月) 23:32

さてさて、Mr.マッスル赤尾氏から故郷について書けとの司令が来ました。

我が故郷京都には若かりし頃のいろんな思い出がありますが、今回は観光スポットについてではなく、自分が幼少期に過ごしたラグビースクールについて話したいと思います。

自分は幼稚園の年中の時ぐらいに親父に 「男やったらラグビーやってこんかい」 と言われ始めました。普段から5歳年上の兄がおもしろそうにやっていたのを見ていたので全然抵抗はありませんでした。その時自分は4歳くらいだったんで、そのスクールの中でも一番年下です。ユニフォームも練習着も持っていなかった自分は幼稚園の体操服でやり始めるはめになったのですが、その体操服がダサくてダサくて嫌だったことを今でも覚えています。

初日から試合形式の練習に混じりました。もちろんルールもパスの投げ方も何もわかりません。最初は訳も分からずボールを持っている選手に向かって走って行ってました。鬼ごっこみたいなもんです。

そしてついに自分のところにボールがまわってきました。足の速さは誰にも負けん!!と意気込んで走り出した瞬間、何者かに横からタックルされて転んでしまいました。 「離せやこのボケ!!」 途端に小学校の上級生たちに囲まれ、ボールをとられそうになりました。それはもう袋叩きみたいなもんですよ。人生初めての洗礼です(笑)。

ノットリリースなどのルールも何も知らない自分は本能のまま 「絶対渡すかボケ!!」 と思い、 「離せや!!」とボールを奪ってくる上級生と格闘していると、おじさん先生が 「離しなさい。」 と言ってきたんです。 

「なんで!?」

悔しかったです。前日の雨でグランドの状態が悪く、全身泥だらけになっていたことも悔しさを倍増させました。帰ってからお風呂につかりながら泣きました。

でもそれからずっとラグビーに夢中です。小学校6年生までお世話になったんですが、いろんな事がありました。同期もだんだんと人数が増えました。ちっちゃいけどパスがやたらうまいやつ、足が速くてステップキレキレのやつ、いつも相手チームにケンカ売ってる亀田みたいなやつ、やたらデブくて暴れたら止まらないやつ、多種多様でした。でも不思議なもんで、そんな個性あふれて一見バラバラそうに見えるメンバーもラグビーやると一つにまとまるんです。自分たちはだんだん結束力が強くなり、毎年開催される府内のスクール対抗ではいつも優勝してました。神戸製鋼の大八木選手や堀越選手に教えてもらったこともありました。ほんとに楽しかったです。

あの時の仲間は今、東芝(吉田朋生)、トヨタ(北川俊澄)、NEC(櫻谷勉)、ホンダ(西垣友博)などなどいろんなところで活躍しています。この前、秩父宮にホンダヒートの試合を見た帰りに西垣と話をする機会がありました。何よりもまず、体格があの頃とは比べものにならず、やばかったです。血のにじむような努力をしてあの鎧を手に入れたのでしょう。(チューとAKAOにも見せてあげたかった)あと、プロップのくせにやたら足が速かった。試合中盤に少し疲れていたので、 「もっと走らなあかんぞ」 とだけいって別れました。それでも、山田の100倍は走ってたぞ。。

なぜか声は・・・・・・昔のかわいい声のままでした(笑)。懐かしかったです。

さて俺らもガンバらなあかんな!!

いや違う。 ガンバるのはどこのチームもしてる。それにガンバるって言葉もあんま好かん。

さらにその上やな。 

血のにじむような努力。魚住先生がいつも俺らに言い聞かせているコツコツ努力する才能をもっと磨いていこうぜ!!

次のバトンは今年のフィットネス番長、長野先輩!!故郷についてお願いします!!

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