リレー日記

飛躍の年

投稿日時:2019/11/07(木) 23:00

福森君に続きまして、医学科4年の栄です。
前回のリレーブログで体育祭の話を別で書くと言ったのを完全に忘れていました。オフに1年の総括として、フォワード日和にでも書きます。
今回はタイトル通り、自分が何かしら成長できたのではないかと思う事をいくつか話そうと思います。

まずラグビーの話ですが、今年は僕にしては珍しく(?)1月の新体制始動から継続的に部活が出来ていました。毎年骨折や病気で長期抜ける事が多かったのですが、今年は夏休み明けまでほぼ全ての練習試合に少しでも出してもらえて、やっと経験値を積む事が出来ました。夏休みが明けると、勉強が原因で平日の部活動を制限されてしまい、学年で行われた勉強会に参加することになってしまいましたが、その成果か今回の模試では学年平均程度まで成績が向上したので、再度部活に参加できています。まだ公式戦への出場は叶っていませんが、それでも今までで一番大きく成長出来たと自信を持っています。残りの期間も全力で挑みます。

2つ目は、上級生になって今までは経験したことがなかった経験をさせていただけたことです。体育祭準備委員長もそうですが、後期に入って小隊長に任命されました。初めて長期勤務学生になりましたが、高橋君の中隊長や、井階君の大隊長と比べると、仕事も責任も全く大きさが違います。それでも任された以上は全うしたいです。

3つ目は、医療人としての心構えといいますか、覚悟が本当の意味で固まった事です。今年の夏合宿中に、去年から末期肺がんで在宅医療中だった祖父が亡くなりました。夏休みの帰省後すぐから、夏合宿に向かうために挨拶しに行った時まで3回ほど顔を出したのですが、その約3週間での変化は衝撃でした。まだ自分で体を起こせていた祖父が、立てなくなった途端目に見えて衰弱していました。
「死期が近い患者はにおいで分かる」みたいな話は、きっと皆聞いたことあると思います。今回これは本当だと思いました。言葉通りの空気もそうですし、覇気というか雰囲気というか、よく例えでいう「空気」も大きく変わっていてしまいました。看護学生の妹も分かってしまったと泣いていたので、きっと勘違いでは無いと思います。
家に居たがった祖父がホスピスを希望したため、僕が東京へ戻ると同時に入院となりましたが、その数日後、祖母に手を握られてる間に、側に居た娘や息子たちさえも気づかないくらいひっそりと、安らかに旅立ったそうです。臨終の方が届いたのは、「いつ死んでもおかしくない」との連絡をうけ、練習後すぐに新幹線で戻っている最中でした。合宿へ向かう時点で、近いうちに亡くなる覚悟はしていたし、連絡を受けた時点で最期に間に合わない覚悟も決めたつもりでした。それでも、あまりの無力さに、新幹線内だというにもかかわらず、まったく涙が堪えきれませんでした。
僕の父は若くして両親を亡くしていたので、僕にとって祖父・祖母は1人ずつしか居ませんでした。また、遠い親族でさえも、今まで亡くなった人が居なかったので、人の死に最初から最後まで関わるのは、これが初めでのことでした。24歳にもなって、辛いこと、悲しいことは数多く経験してきたつもりでしたが、それでもあまりの辛さにくじけそうになりました。正直気持ちの整理も出来ず、合宿への合流を断念しそうにもなりました。
それでも、お世話になった6年生や、今年卒業してしまう同期と一緒に戦える機会は数えるほどしか残されていなかったので、気力を振り絞って菅平まで行きました。この選択をしたことは正解だったと思います。

あまりにも収拾がつかなくなってきたので、ここで終わって、また思いついたらフォワード日和に書こうと思います。次回は、実は唯一の高校同世代、第五学年杉山先輩に回そうと思います。よろしくお願いします。

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