マッシードリーム号 2011/2

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パール・ハーバー

 written by 益子 俊志 投稿日時:2011/02/22(火) 12:22

学生が試験で奮闘している先週、パール・ハーバーに行ってきました。画像や本でしか知らなかった場所に立てたことはある意味感動でした。印象としては、やはり米国が開戦するにあたって世論を巻き込むために「Remember Pearl Harbor」を合言葉にしたこと、終戦の調印を戦艦「ミズーリ」の艦上で行いその「ミズーリ」をここに置いておくことは、やはりパール・ハーバーが日米戦争の象徴であるのだと実感しました。戦艦「ミズーリ」は太平洋戦争から湾岸戦争まで退役するまで50年近く前戦で運用していたのは驚きでした。やっぱり頑丈に作られているものなんですね。戦艦「アリゾナ」は真珠湾奇襲攻撃の最大の被害を出した船で「アリゾナ」だけで1700名以上の死者を出しました。いまだに沈んだ状態から油が少しずつ漏れ出しているそうです。どうしても記録は自国側に偏ってしまいますが、ちょっといい話がひとつ。戦艦「ミズーリ」が沖縄戦に参加しているとき日本軍の特攻隊の襲撃にあって、一機が艦上に墜落した際、パイロットが艦上に投げ出され死にました。胴体が半分に千切れ悲惨な状態でしたが、米軍はその遺体を集め繋ぎ合わせて国旗にくるんできちんと水葬にしたそうです。戦争は悲惨ですがお互い命をかけて国のために戦う戦士として対応した振る舞いにほっとしました。またその後に行ったハワイ陸軍博物館では、ちょっと嫌な話し。ここでも日本との戦いがほとんどでしたが、日米戦争の終戦の大きなきっかけとなった広島と長崎の原爆投下がありますが、その件では展示してある資料説明は、ひとつの大きな爆弾が投下されとしか表記されていませんでした。米国で自分の国が唯一原爆を使った国だと知らない国民が大勢いると聞いたことがあります。原爆という文字を是非入れて事実として表記してほしかったなと思いました。ハワイに行く前に、2月11日封切りの「太平洋の奇跡」観ましたが、サイパンで日本人将校が民間人を殺さず最後投降する話ですが実話をもとに作られたそうです。実際にはもっと悲惨な状況であったことは想像に難くないと思います。サイパンもハワイも現在は観光産業がメインで日本人がほとんど占めています。太平洋の楽園と呼ばれる場所で過去に悲惨な戦争でたくさんの人々が犠牲になったという事実をしっかり認識し、その上に我々世代が平和で幸せにいられることを心に刻みたいと思います。

米陸軍博物館

パール・ハーバー

USSボーフィン潜水艦上にて

戦艦「ミズーリ」

「ミズーリ」艦上で調印式が行われた場所に銅板が埋め込まれている。マッカーサー元帥と日本は全権重光葵らによって行われた

真珠湾にある航空博物館「ゼロ戦」

戦艦「アリゾナ」からはいまだに油が漏れている

いまだに毎日「アリゾナ」艦上に国旗掲揚をしている

「アリゾナ」が沈没している上に記念館

合宿の下見?ダイヤモンドヘッド前に広大な公園。その中にラグビーポストがありました。ここで合宿やったら最高だなあ。ランパス500mは行けるな。一人で走ってみました。

西田先生の想い出

 written by 益子 俊志 投稿日時:2011/02/09(水) 09:58

先日のOB総会でも話題になっていましたが、3期の西田先生が先月亡くなりました。私が防医大に着任した当時から監督として学生に気合を入れていました。お忙しい中、日帰りで菅平に来ていただいたり、学生への情熱は本当に頭が下がりました。その後、沖縄の伊江島の診療所に勤務されていた時、私がお隣の名護にラグビー指導に行った際、何度かお世話になりました。名護高校の監督さんが伊江島出身ということでフェリーで島に渡り、ご一緒に釣りなどで楽しみましたが、西田先生は釣りキチで大変でした。自分の船まで持って、昼休みはいつも海上に出て釣りを楽しむのが日課だったようです。自宅に泊めて頂いた時には、庭のパッションフルーツなど御馳走になりました。部屋には大きな伊江島の地図が張ってあり細かく何か書いてありました。患者さんの家や症状でも書いてあるのかと思いきや、いつどこで何がどれくらい釣れたか記録でした。地元の漁師さんも驚くほど良くポイントを知っていました。内地の人間ではなく、すっかり地元の海人になっていました。夜BBQの最中でも急患で呼び出されてもすぐに飛んでいき対応していました。本島の病院に搬送するのも台風で大変な状況でも漁師さんにお願いして無理して運んでもらったと聞きました。島を離れる際には、ひげ面でフェリーが見えなくなるまで岸壁から手を振ってくれました。島では本当に愛されていたお医者さんでした。診療所勤務が終わりこちらに戻られるのが決まると、村役場の人から、私のところまで電話があり、なんとか思いとどまるよう説得してくれと頼まれました。自分より上の人とは思い切り喧嘩して、下の人には自分を犠牲にしても優しく守ろうとする姿勢、ラガーマンの鏡でした。あまりにも早い別れはつらすぎます。最近お会いしていなかったので、信じられず、月末の追いコンあたりにひょいっと顔を出すのではないかと思ってしまいます。
                                                                                合掌

八百長

 written by 益子 俊志 投稿日時:2011/02/08(火) 22:29

大相撲を揺るがす八百長問題が大きくマスコミ等で騒がれてるが、一言。「駄目です」。相撲界の内情はわからないが、スポーツとは、お互いが切磋琢磨し、試合で真剣勝負をする。やり直しのきかない勝負を挑む。特にラグビーにおいては激しく身体をぶつけ合って時にはカーっとなって殴りたくなる時もある。しかしそこで理性を働かせてぐっとこらえて、渾身のタックルで返す。レフリーのジャッジには文句を言わない。そこに倫理が存在し、フェアープレーを楽しむ。ラグビーの世界で八百長をしたとしたならば、やっている選手も観客もしらけてやる気も観る気もなくすだろう。ラグビーとは不思議なスポーツで、先日の日曜日も秩父宮ラグビー場で、早稲田大学対NTTドコモの試合を観た。後半までもつれたが、最後はNTTドコモに突き放された。しかし、観客は最後まで帰ろうとしなかった。野球などは試合の大勢が決まったら途中で皆帰ってしまうのは良くあるが、ラグビーはそうではない。何故?負けが決まっていても最後の最後までディフェンスしようと魂の入った「タックル」に期待しているのだ。ラグビーの魅力はタックルなのである。観客もそれをわかっているのだ。「タックル」がスポーツの真髄を表しているのではないか。相撲界にも魂のタックルを期待したい。

靖國神社 遊就館

 written by 益子 俊志 投稿日時:2011/02/07(月) 13:27

4日金曜日に1年生7名と靖國神社に行ってきました。統合ゼミの郊外研修で引率しました。神社に併設されている遊就館は日本戦争の歴史が展示されており、学生が近代史にあまり詳しくないということで、いろんな意味で研修してもらえればいいなあと思いましたが、少し時間が足りなかったかもしれません。またそこには、戦死した若者たちの遺影と遺書も展示されており、時代は違うとはいえ学生と同年代で死んでいった無念を考えると心が痛みました。靖國の議論はいろいろありますが、とりあえず一度観てみてそれから学生が自分で判断してほしいと思っています。



ゼミの学生たち

セガちゃんと安武(遊就館前で)

OB総会に集結!

 written by 益子 俊志 投稿日時:2011/02/06(日) 10:20

2月3日節分に市ヶ谷でラグビー部OBが集結しました。毎年この時期、防衛衛生学会に合わせて全国からOBが駆けつけました。学生は現4年生以上、長野君も国家試験直前の決意を表しました。塚本前主将から昨年度の報告と決して学生だけの力だけではなくOBの支援の賜物だという話があり盛り上がりました。新主将の山崎君からも今年の全面的サポートのお願いと2部昇格の決意がありました。その年によって人数は違いますが、卒後全国に散らばってなかなか集まれない中、こういう機会は大事なことです。OBの懇親を深めるとともに現役学生との距離感をなくし、学生が卒後もいろんな先輩に相談できる環境を作って、学生時代は思い切りラグビーをやる。OBも語っていましたが、みんなつらかったこと苦しかったことしか話に出てこないのに、やっぱりラグビー部で良かったと締める。それは、時が経つにつれて、「絆」が強くなるからでしょう。結局最後腹を割って話せる、酒が飲める、そんな仲間なんてそう多くない、それは苦楽を共にした仲間しかいないのでしょう。これは私も同じです。素敵な財産です。大事にしましょう。


長野君余裕?

中西先生極寒の大湊から

4部優勝の盾を持って報告

新部長妻鳥先生を囲んで一ケタ期のOBの先生方

青戸さんはいつでも元気です

皆さんいつまでもお元気で

佐々木さんと中谷監督の熱い握手(見えていませんが)
 

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