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リレー日記

JUDORUGBY部としての1年

投稿日時:2010/12/27(月) 12:38

はじめまして。33期の杉澤です。
私は柔道部でありながら、今年のメディカルセブンスを始め、多くの試合に出場させていただきました。
ラグビーを始めたきっかけは、同室の前キャプテン塚本からの誘いでした。

5月、メディカルセブンス。柔道の合間にしか練習ができず、ラグビーのルールといえば、ボールは後ろにしか投げれないことしか知らなかった私が、熊谷ラグビー場のピッチに立てたことは非常に光栄なことでした。しかし、私が試合に出ることで、ラグビー部員の一人が試合に出れなくなるわけで・・・
練習をしない者は試合に出てはいけない。
ルールを知らない者は試合に出てはいけない。
試合に出るならば、柔道部からのお客さんではいけない。
そう強く実感したのがこのメディカルセブンスでした。

8月、柔道の東医体が終わった後の夏合宿から、本格的にラグビーの練習に参加しました。
仲間の大切さを認識したのが夏合宿でした。
ボールをもらった時、タックルをされた時、自分がつらい状況になった時
振り向けばそこに誰かがいてくれました。
いつもフォローされてばかりやったね。
柔道で、試合場の中では常に1人で戦っていた私には、それがとても新鮮でした。

9月、公式戦が始まり、防衛医大は快進撃を続けていました。
しかし、山梨大学戦、防衛医大は公式戦初の敗北を味わうことになりました。
その日、私は柔道の試合があり、山梨大学戦には出場できませんでした。
結果的に公式戦唯一の敗戦となったこの時に、全員が悔し涙を飲んだグラウンドに
一緒にいることができなかったことが心残りです。

12月、目標にしていた入れ替え戦。その前日、練習の最後に円陣を組みました。
心は落ち着いているのに、涙が溢れそうで、上を向きました。空は快晴でした。
入れ替え戦、ノーサイドになった時よりもその瞬間の方が心に焼きついています。
試合前に片づけた自分の部屋、磨いたスパイク、ソックスにいれたマネさん手作りのミサンガ・・・

「試合の前に結果はもう決まっている」
その意味が少しわかった気がします。

シーズンが終わり、私は、柔道部のお客さんではなくなったでしょうか。
試合に出る資格があるほど練習をしたでしょうか。
臙色の14番に袖を通す資格はあったでしょうか。

入れ替え戦後、益子先生に「お前はラグビー部員だ」と声をかけてくださった時に
私はホッとすることができました。

ルールを教えてもらった部屋、作戦を確認した夕食、初めて行った菅平、土砂降りで凍えた夜の練習、試合前に行った温泉、痛み我慢して走り続けた日々
振り返ると同期3人の顔が一番に浮かんできます。

この1年、多くの貴重な話を聞くことができ、たくさんの方々に指導をいただき
私自身、成長できた気がします。ありがとうございました。

ラグビーをしてよかった。
ダルマの目入れをした12/24

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コメント


制服、やはりカッコいいですね。自分が通っているスポーツジムには警察官の人がいます。自衛官とか警察官は、凛々しくてクールですね。あと、救急隊員の人もカッコいい人が多いです。でも、「ああいう人たちの奥さんって大変だと思う」とよく話しています。遠くから憧れているのが良いのかも知れません。

Posted by 招福猫 at 2011/02/03 18:09:29+09 PASS:
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