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ブログ 橋本 悠さんが書いた記事

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はしもとの日々雑感⑤[フォワード日和]

 written by 橋本 悠投稿日時:2016/11/16(水) 00:08

(前回の卒業試験に引き続き、模試の真っ最中ながらブログを更新する6年のはしもと...。)
 部員のみんなが知っているかどうかは知らないが、私は将棋が好きだ。今もよく指している。小学生の頃は、割と本気でプロの棋士になりたいと思っていたこともある。たった81マスしかない盤上に、敵味方合わせて40枚の駒が並んでいるだけ。限りあるスペースに、限られた枚数の駒しかないという制限がありながら、戦術・戦略に関してこれまで数多くの研究がなされ、今もなお進歩を続けている。そんな将棋界で有名な人といったら、所沢出身で公文式のCMにも出ていた羽生善治さんだろう。単純に将棋とラグビーを結び付けるのは難しいかもしれないが、同じ勝負事ということもあり、彼の言葉には説得力がある。今回は、彼の名言を紹介しようと思う。
 
何かに挑戦したら確実に報われるのであれば、誰でも必ず挑戦するだろう。
報われないかもしれないところで、同じ情熱、気力、モチベーションをもって継続しているのは非常に大変なことであり、私は、それこそが才能だと思っている。
 
優勝を目指して頑張ってきた私たちは、先日の試合に敗れ、優勝の夢はなくなってしまった。しかしながら、下を向いているものは誰一人いない。次の試合に向けて充実した練習ができていると思う。部員それぞれの目標がどこにあるかはわからないが、彼らの情熱、気力、モチベーションがあるからこそ、充実したラグビーができているのだと思う。
 私は、「才能」あふれるみんなとラグビーができて本当に幸せだ。残り2試合、あと7回しかない練習、精一杯頑張りたい。
 
 

はしもとの日々雑感④[フォワード日和]

 written by 橋本 悠投稿日時:2016/11/10(木) 22:23

 現在、私たち6年生は卒業試験の真っ最中だ。(卒試の最中にブログなんか書いてて大丈夫なのか?) 寒い中、後輩が差し入れてくれるホカホカの弁当がありがたい。日本亭の唐揚げ弁当、ココ壱番屋のカレー、かまどやの幕の内弁当…。バリエーションも豊富だ。たまに来るスイーツもうれしい。でも、オリジン弁当って差し入れられたことがない。最近気が付いた。
 さて、originもrootもbeginningも綴りは違えど「原点」という意味がある。それは何かが始まる場所であり、また、戻ってくる場所でもあると私は思う。「場所」といっても、単に空間的なものだけでなく、精神的なものや出会い的なもの、いろいろな概念が含まれている気がする。何かの始まりには必ず原点があるし、困ったとき、うまくいかないとき、何かあったときに立ち戻れるのが原点でもある。
 筑波戦まであと3日。昨年は負けた相手だ。昨シーズン私は、初戦の獨協戦を前に鎖骨を骨折し、初戦は強行出場したものの、筑波戦は出ることができなかった。負けた試合をグラウンドの外から見ていて、情けなく、申し訳なく、悲しかった。試合には、その年の春合宿のとき、私のタックルで膝を負傷した6年生のエイトが出場していた。彼は、最後のシーズンであること、優勝をかけた試合であること、ケガをさせられた因縁の相手であること…。いろんな思いを背負って試合に臨んだと思う。
 それは、今年の私も一緒だ。優勝をかけた試合。最後のシーズン。昨シーズン悔しい思いをした相手。「悔しい」、「何としても勝ちたい」その思いがいま、私の原点にある。私自身、そこからシーズンは始まったと思うし、苦しいとき、悔しいとき、そこに立ち返ったつもりだ。先週の昭和戦もそうだった。
 最近、キャプテンも監督もコーチも「この1年間、筑波に勝つためにやってきた」と練習中によく言う。本当にその通りだと思う。プレイヤーやスタッフ、OBやコーチ陣…。防衛医大ラグビーに関わるすべての人たちが、昨年抱いたさまざまな思い。それぞれの原点。厳しい練習も激しいフィットネスもすべて勝利のためにやってきたことだ。スタッフやコーチ陣はそれを全力でサポートしてくれた。
 試合までに残された時間は少ない。もう一度、気を引き締めて練習に臨もう。
 それぞれの「原点」を胸に秘めて…。
 
 

はしもとの日々雑感③[フォワード日和]

 written by 橋本 悠投稿日時:2016/11/09(水) 11:24

 私がラグビーを始めたきっかけが慶応のラグビーにあることは、以前のブログでも述べた。自分が「やる」ラグビーは、ああいう風にひたむきでありたいと思っている。どうでもいいが、ラグビー伝統校である早慶明の「タテの明治」、「ヨコの早稲田」と比較して、慶応は「魂のタックル」がチームカラーとされている。タテでもヨコでもナナメでもない。
 一方、私が好きな「観る」ラグビーは南アフリカのラグビーだ。私みたいに身体が小さな人間にとってマネのできない、フィジカル重視のとにかく激しいラグビー。FWはステップなんか踏まずに、相手が前にいてもひたすら突進を繰り返す。タックルもめちゃくちゃ激しい。選手たちが血だらけになることも少なくない。生まれ変わったら、あんなラグビーを一度でいいからやってみたい。
 しかし、南アフリカのラグビーは、昨年日本にW杯で負けてから、あまりパッとしない。いま、南アフリカのスポーツは転換期を迎えている。国が、ラグビーを含むすべてのスポーツで有色人種の割合を60%以上にするように定めたのだ。本来なら、肌の色ではなく、選手のプレーで代表はセレクションされるべきだと思うのだが…。
 肌の色による差別つまりアパルトヘイトで、圧倒的多数を占める有色人種は、少数の白人たちに長い間、迫害されていた。その南アフリカは国際社会から非難され、W杯も第1、2回は出場すら許されなかったのは有名な話だ。上述の方針は、有色人種と白人の立場は異なれど、歴史を繰り返すものにならないか心配になってしまう。
 南アフリカでは、ラグビーは人気のスポーツで、国民の期待も大きい。日本ではありえないことだが、昨年のW杯で日本に敗北したとき、南アフリカの監督は国民に公式の場で謝罪した。それくらいラグビーのもつ役割は大きく、代表選手たちは、勝つことを運命づけられた存在でもある。そんな彼らが、肌の色だけでセレクションされていいのだろうか。
 1995年のW杯で優勝したとき、ラグビーを通して国は一致団結した。白人のスポーツとされていたラグビーが、有色人種のほうが圧倒的に多い南アフリカをひとつにした瞬間。肌の色ではなく、1つの楕円球が歴史を変えた瞬間。
 もう一度、その感動を味わってみたい。
  
 

はしもとの日々雑感②[フォワード日和]

 written by 橋本 悠投稿日時:2016/11/07(月) 09:42

 今朝ブログを見ていたら、今田先生に過分な評価をいただいていた。普段、あまり褒められることがないので、うれしかった。
 私自身、フランカーというポジションは、バックスほど目立つわけでもないし、フォワードで言えば、エイトほどカッコよくもないし、タイトファイブほどセットプレーで重要度があるわけではない、あんまり目立たない存在だと思っているし、また、そういう存在であるべきだとも思っている。でも、フランカーが仕事をしないとラグビーにならない。そんな風にチームを陰で支えるのがフランカーの役割だと思っている。
 いつの試合だったか覚えていないが、益子先生に「お前は玄人好みのプレーをするね」と言われたことがある。目立つことはないけれど、きっちり仕事をこなす。それを評価してくれる人がいる。うれしい瞬間だった。
 残りの3試合も、フランカーとしての仕事を黙々とこなし続けていきたい。
 次の相手は、筑波大学。昨年負けた相手で、身体も大きい選手がそろっている。ラグビー経験者も多い。身体の小さな防衛医大が勝つためには、60分間相手よりも走り続けること、そして低いプレーをし続けることがカギになるはずだ。
 小さいからこそ、できるプレーがある。
 魂のタックルで大きな相手を倒す。
 魂の猛り狂うラグビーをもう一度。
 もう一度、頂点へ。
 

はしもとの日々雑感①[フォワード日和]

 written by 橋本 悠投稿日時:2016/11/01(火) 23:10

 「指揮者先頭 率先垂範」とは、海上自衛隊に旧海軍からの伝統として受け継がれている、精神というか標語というか、そんな感じのものだ。「伝統墨守 唯我独尊」とたとえられる海上自衛隊にあっては、旧海軍から受け継がれている伝統はいくつもあるのだが、ラグビーに通じるものがあると思うので、紹介しておく。その詳細をここでは説明しないが、要は「上の者が先頭に立って、『我に続け!!』と背中で引っ張ること(が大事だよ)」と解釈するのが適当だろうと思う。(私と同じく歴史好きな方は、日本海海戦について詳しく調べると、その言葉の意味するところをより深く学べるはずだ。)
 ところで、「学ぶ」というのは「まねぶ」つまり「真似る」という意味の古語に由来があるというのは、割と有名な話だ。勉強でもスポーツでも、初心者のうちは、先生やコーチが教えてくれたことを見よう見まねでやってみるところから始まると私は思っている。いわゆる「デキるなコイツ」というヤツは、要領を得るのがうまくて、真似るコツというか、そういうものをつかむのがうまいヤツのことをいうのではないだろうか。
 さて、ウンチクを延々と垂れてきて、何が言いたいのかというと、「後輩は先輩を見て育っていく」ということだ。良くも悪くも、グラウンドの中でも外でも、後輩は先輩を見て育つ。初心者が多い防衛医大ラグビー部では、特に「先輩」の役割が大きいように思う。彼らは、先輩を見て、学び(=マネしながら)育っていくのだから。たとえて言えば、「先輩」はラグビーの教科書といったところだろうか。(グラウンドの外で、教科書のような存在の先輩がいるかどうかは、後輩諸君の判断に委ねる...。(笑))
 最近、タックルがうまくなりたい、と思ってか、何名かの1年生が決まって私が持つタックルバッグに入ってくるようになった。彼らの、うまくはないけれども、ひたむきなタックルに、感じるものがある。
 フランカーとして私が残せるものがあるとしたら、それはタックルかもしれない。小さくても、大きい相手を一撃で仕留める、低いタックル。魂のタックル。私がラグビーを始めた原点。
 残り1ヶ月、背中で彼らを引っ張りたい。
 
 
 
 
 
 
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