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ブログ 2011/1/31

監督下番にあたりご挨拶(長文失礼します)[リレー日記]

 written by 魚住 洋一投稿日時:2011/01/31(月) 17:28

 現役部員、コーチ、OBの先生方、OGの皆さま、ご無沙汰しております20期魚住です。本来であれば新体制の報告後にご挨拶すべきところでありますが、都合で2月3日のOB総会、27日の追コンに参加できないため、ここで監督下番にあたりご挨拶申し上げます。
 2006年に研究科学生として防衛医大に1年半ぶりに帰ってきて、練習に参加しましたことを昨日の様に覚えています。ほどなく尾関OB会長、都築総監督、益子先生のご高配により、研究科学生でありながら監督を仰せつかりました。当時の部活の状況はグラウンドでfull contactで練習できる人数が10人ほどでFW, BKが相手を付けた練習をやるためにはBKとFWが入れ替わりでお互いのdefense, attackをやるといったものでした。これはここ数年来の流れで、なかなか変わりませんでした。そんな中、研究科学生(大学院生)=学生ということで関東医歯薬リーグでは私と私の同期の佐藤斗南くんに出場権利が与えられ、10年ぶりに「現役」復帰まで果たしてしまいました。野球でいえば古くは野村克也、最近では古田敦也のようなポジションに立ったわけです。ただ彼らと違い私は経験とプレーの質で現役を引っ張ることはできず、そのポジションには日本トップクラスの実績をお持ちの益子先生がいらっしゃったため、ほかの役作りを思案しました。
 私の中で「防衛医大ラグビー部監督」=3期 西田正之先生でした。西田先生は総合臨床部の助教授で多忙な中、持病のため運動制限がかかっているにもかかわらず、毎日練習に足を運びグラウンドに立ち、学生と共に汗と泥と雨にまみれながら私達現役を叱咤激励下さいました。その姿は時に鬼気迫るものがあり、私は何度その姿に勇気づけられたか分かりません。
 西田先生の様にはなれないけど、体力では現役に勝てないけど、毎日体を張って学生時代の経験を彼らに伝えよう。防衛医大7年生のようなポジションで行こう。(声だけは今でも負けない!)と思いました。と同時にラグビーで食べていくのではなく、医師たる幹部自衛官となる学生が社会に出てから必須となる才能をラグビーを通じて伸ばしてあげたいと思い、監督要望事項を「コツコツ努力する才能を磨け!」&「チームのために自分に今何が出来るかを考えろ!」としました。
 医者になってよく思うことは、才能に溢れただけのその日暮らしの医師よりも、毎日弛まず技術や知識を身につける努力を続ける医師の方が信頼出来るし、成功しているということです。また医療はチームで行います。看護師さん、検査/放射線技師さん、MEさん、事務の方々と良好な関係を築けない人は、患者さんへ良質な医療を提供出来ません。部隊勤務と通修(自衛隊の仕事と病院での研修)を新しい環境/人間関係の中で行って行く上でこの2つを磨く事は、必ず卒後役に立つと思ったからです。
 さて監督になって最初の2シーズンはなかなか思うように勝てませんでした。しかし人数がそろわなかったとはいえ同期の佐藤斗南くんと共に2008年のシーズンにフル出場できたことは、一生の思い出です。特に10年ぶりに味わった公式戦勝利の味は忘れられません。鳥肌が立ちました。使ってくれてありがとう。途中ドイツ留学のため1年間不在にしたこともみなさんにご迷惑をおかけしました。しかしその際、学生の指導官として大学に勤務していた24期鷲見君に監督代行をしてもらった事で、部の雰囲気がパッと明るくなりました。さらに学生との一体感も出ました。すると学生/OB一体の必死の勧誘も功を奏し(焼き肉代の寄付、いつもありがとうございます)1年生が9人—6人と続けてたくさん入部してくれました。この後半2年(2009−2010)が防衛医大ラグビー部のターニングポイントとなりました。部員1人1人がbestを尽くした結果、3部に昇格出来ました。塚本くんのキャプテンシーも素晴らしいものでした。手術で自分がプレー出来ず、本当に悔しかったであろうにも関わらず、チームをよくまとめました。天晴です。
 新年度からは妻鳥新部長、中谷 創(25期)新監督、益子コーチ、青戸コーチ、久米村コーチのご指導のもと、新キャプテン山崎学生をチームの核として、2部昇格の目標に向かって全力で頑張って下さい。
 私は防衛医大入校以来、ラグビー部の先輩方に大いにお世話になりました。今も毎日お世話になりっぱなしです。でも先輩方にはその1割も恩返し出来ておりません。その代わりその感謝の思いの一部を学生の皆さんに還元してきたつもりです。私個人への恩返しはまったく不要です。その代わり諸官の後輩にそれ以上に返してあげて下さい。この輪廻が「防衛医大ラグビー部の伝統」醸成に繋がると信じています。
 脳外科医をやっていて強く思うことは、「死は前触れなく突然やってくる」です。悔いのない人生を送るために、毎日を全力で生きてほしいと思います。
 また自分のためにしたことは死とともに消滅するが、誰かのためにしたことは、死後も誰かの中で生きます。人は自分のために生きるのではなく、誰かのために(家族のため、社会に役に立つために)生きるのだと思います。学生時代はとりあえずチームのために生きて下さい。
 いつも温かくサポート頂きました、尾関会長をはじめ、OB会の先生の皆様、学生時代から私の危機を幾度となく救って下さった益子先生、グラウンドでいつも子供を見てくれたマネージャーさん、そして何より私がラグビーに参加できるよう、医局内で調整頂き、脳神経外科のいろはからご指導頂きました都築先生、本当にありがとうございました。お世話になりっぱなしで何も恩返し出来ておりませんが、受けたご恩は後輩や周囲の人に還元していきたいと思います。これからもお世話になります。どうぞよろしくお願い致します。
 同期の斗南くん、無理聞いてくれてありがとう。面と向かって言えなかったけど、本当に感謝しています。ありがとう。
 最後にいつも快くラグビーに送り出してくれた家族に感謝して、下番の挨拶と致します。ラグビーやってて本当に良かったです。防衛医大ラグビー部に栄光あれ!

遅ればせながらの写真[マッシードリーム号]

 written by 益子 俊志投稿日時:2011/01/31(月) 12:06


1月9日靖国神社へ
 
妻鳥先生も駆けつけました

最終日の謝恩会

 

サッカー・アジア杯優勝[マッシードリーム号]

 written by 益子 俊志投稿日時:2011/01/31(月) 08:15

サッカー・アジア杯優勝!お見事!決勝戦は夜中、前半戦はテレビにかじりついて観ていたが、さすがに睡魔に勝てずテレビつけっぱなしで寝てしまった。翌朝結果を知り、よくぞやってくれたと感動した。普段はサッカーの試合はあまり見ないし、Jリーグで応援しているチームもないのに、今回の日本代表はなぜか気持ちが伝わって来て応援したくなるチームだった。何故?チームだったから。試合に出ているメンバーの活躍はもちろんだが、怪我をして出られない選手、控えで沸々と出場を狙っていた奴、みんなが勝利を強く信じていた。その結果だろう。それをわざとらしくなくさりげなく感じさせるチーム。普段は各チームで鎬を削っているのに。主将の長谷部のコメントもいつもいろんな人に気を使ったコメント。大人を感じる。本当におめでとう。

もうひとつ。日本人は実は日の丸が好きなのだ。最近、祝日に家庭に日の丸を掲げる家が少なくなった。日の丸に対する気持ちが薄れたのかと思いきや、若者が日の丸のペイントを顔に塗り、大きな日の丸を振って応援する。日本人が日本人を感じるのだろう。海外で生活経験がある人は強く感じるだろう。外国で日の丸をみるとなぜかホッとする。考え方が違う人はいるだろうが、自分は日の丸に帰属意識を強く感じる。

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