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ブログ 2016/11

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未知の領域?[ハクセンさんの白線流し]

投稿日時:2016/11/11(金) 22:24

こんばんは
お久しぶり?の本摩学生です。
ああわかりますよ皆さんの疑問、何で白線流しで書いてるのかってことですよね
これはですね、最近フォワード日和の敷居が高くなってる気がしまして………
そこで何を書いてもOKを売りにしている白線流しに来たわけです

前置きはこの辺にして本題
早いもので、というか前の試合から1週間だけなので本当に早いですがもう明後日は公式戦三試合目、一番の山場です。
ここを乗り切らなければ優勝はない、逆に言えばここを乗り切れば優勝がぐっと近づく、という事で選手皆気合いの入った練習をしています。

あ、ダメだこれ以上真面目な内容が思い浮かばない💦

僕は防医に来るまでスポーツは未経験なので試合二日前という経験はないんです
でも試験二日前という経験は腐るほどしていまして
そんなわけで試験二日前ってなにしてたかな~って思いをはせるわけです。

ふつーに遊んでましたね、ハイ
何の参考にもならぬ

まあ僕なりに試合二日前、前日を最善の準備に費やすのでご容赦
ではまた


 

決戦は日曜日[イマダの今だから言えること]

投稿日時:2016/11/11(金) 14:04

「最後は気持ち」
これを否定する気は毛頭ないが、僕はあまり好きな言葉ではない。

勝ちたい気持ち、やってやるという気持ちなんていうものは、グランドに立つものみんなが持っているもの。
それがない奴はそもそもグランドに立つ資格なんてない。
つまり、【気持ち】は最後に頼るものではなく、グランドに立つ前提であるべきものであると考えているからである。

だから僕はあまり「最後は気持ち」という言葉を口にしないようにしている。

ただ、先ほども述べたように僕は気持ちを前提と考えているので、当然大切なもとして捉えている。

僕が学生時代を過ごした早稲田大学ラグビー蹴球部には全部員、コーチ、スタッフの思いを一つにまとめた「鉄笛」という文集を毎年夏合宿の時に配布するという伝統がある。
内容に制限はないのでネタに走る者もいれば、親への感謝、その年にかける思い等、様々な文章が存在してとても面白く、合宿の休憩時間にこれを読むのがなかなか楽しい。

その中に僕の心に残る、ある先輩が書いた文がある。
「感情はデジタルじゃない。俺たちはロボットじゃない。感情がある人間なんだから、顔を真っ赤にして戦おう。戦うときは精神異常者だ。デジタルしてるやつにビックヒットなんてできない。」
といった内容だ。

現時点で人工のものに感情はない。(最近は人工知能が感情を持っているという話もあるが。。)
感情は人間をはじめとする生物にのみ与えられたもの
特権。

時に苦しめられたりもするけど、幸せになれたり、やる気にさせてくれたりもする

そして、戦いの場においてこの感情というものはある種、武器にもなり得ると思っている。
感情を向き出しにして戦っている仲間を見れば、自分にも力を与えてくれる。
感情をむき出しにして向かってくる奴とそうでない奴、相手から見てどちらが怖いかを考えれば答えは容易に出るはずだ。

感情をむき出しにして戦えば勝てるというわけじゃない。
感情という前提があり、その上に技術や戦略を乗せて戦わなければ勝てない。

でも、せっかく神様から与えれられた「感情」というもの、表に出して武器として持って戦おうじゃないか

日曜日
ボールを持って走っている時、敵がタックルしてきたら顔を真っ赤にしてブチかまそう
敵がボールを持って走ってきたら顔を真っ赤にしてひっくりかえしてやろう

そして、ノーサイドの笛が鳴った時、みんなで顔を真っ赤にして喜ぼう

僕たちは感情がある人間なんだから。


はしもとの日々雑感④[フォワード日和]

 written by 橋本 悠投稿日時:2016/11/10(木) 22:23

 現在、私たち6年生は卒業試験の真っ最中だ。(卒試の最中にブログなんか書いてて大丈夫なのか?) 寒い中、後輩が差し入れてくれるホカホカの弁当がありがたい。日本亭の唐揚げ弁当、ココ壱番屋のカレー、かまどやの幕の内弁当…。バリエーションも豊富だ。たまに来るスイーツもうれしい。でも、オリジン弁当って差し入れられたことがない。最近気が付いた。
 さて、originもrootもbeginningも綴りは違えど「原点」という意味がある。それは何かが始まる場所であり、また、戻ってくる場所でもあると私は思う。「場所」といっても、単に空間的なものだけでなく、精神的なものや出会い的なもの、いろいろな概念が含まれている気がする。何かの始まりには必ず原点があるし、困ったとき、うまくいかないとき、何かあったときに立ち戻れるのが原点でもある。
 筑波戦まであと3日。昨年は負けた相手だ。昨シーズン私は、初戦の獨協戦を前に鎖骨を骨折し、初戦は強行出場したものの、筑波戦は出ることができなかった。負けた試合をグラウンドの外から見ていて、情けなく、申し訳なく、悲しかった。試合には、その年の春合宿のとき、私のタックルで膝を負傷した6年生のエイトが出場していた。彼は、最後のシーズンであること、優勝をかけた試合であること、ケガをさせられた因縁の相手であること…。いろんな思いを背負って試合に臨んだと思う。
 それは、今年の私も一緒だ。優勝をかけた試合。最後のシーズン。昨シーズン悔しい思いをした相手。「悔しい」、「何としても勝ちたい」その思いがいま、私の原点にある。私自身、そこからシーズンは始まったと思うし、苦しいとき、悔しいとき、そこに立ち返ったつもりだ。先週の昭和戦もそうだった。
 最近、キャプテンも監督もコーチも「この1年間、筑波に勝つためにやってきた」と練習中によく言う。本当にその通りだと思う。プレイヤーやスタッフ、OBやコーチ陣…。防衛医大ラグビーに関わるすべての人たちが、昨年抱いたさまざまな思い。それぞれの原点。厳しい練習も激しいフィットネスもすべて勝利のためにやってきたことだ。スタッフやコーチ陣はそれを全力でサポートしてくれた。
 試合までに残された時間は少ない。もう一度、気を引き締めて練習に臨もう。
 それぞれの「原点」を胸に秘めて…。
 
 

祝成年[イマダの今だから言えること]

投稿日時:2016/11/10(木) 14:17

成年
それは未成年ということで制限されていたお酒やたばこ等が解禁となる。
それにともない、社会の中での責任が大きくなる。
要するに大人の仲間入りをするということだと解釈している。

日本において成年とは
「年齢20歳を持って成年とする」
と定められている。

つまり、日本において20歳を迎える誕生日というのは特別な意味をもつものです。

そんな特別な誕生日迎えた同期を祝おうと医学科43期・看護学科3期の選手、マネージャーが昼休みに集まった。


「主役は遅れてやってくる」

狙ってかわどうかわからないが、彼は集合時間に5分ほど遅れてきた

あっ、間違えた。
主役は友納ではない。そもそも彼はまだ18歳。たぶん。。

本日の主役は彼


1年生SH/FL島影一輝
普段もラグビー中も物静かというか、落ち着きすぎているというか、とにかく寡黙な男である。

特別な誕生日をみんなに祝ってもらうのが恥ずかしいのか、少しはにかんだ笑顔を浮かべて登場した。

島影には好きながある。
何色とは言わないが、、、

その色にまつわるプレゼントをマネージャーから受け取り、非常に嬉しそうな表情を浮かべていた島影にもう一つ、手の込んだプレゼントが。


「まいにち島影!」
昨年、大流行したアレの島影バージョン。
毎日、日めくりで島影の名言と触れ合える貴重なもの。

作成にどれ程の時間を要したのかわからないが、かなりのクオリティ。

島影もかなり嬉しそうな表情を浮かべている。

欲しい。俺も欲しい。

そして、プレゼント贈呈が終わった後、みんなで「Happy Birthday」を歌い、


集合写真を撮り
「島影一輝成人お祝いパーティー」
終了。
(川村さんは撮影直前に体力検定に行ってしまったのでこのような形に。。)

島影にとって一生忘れられない誕生日になったことは間違いないだろう。(と思っている)

せっかく何かの縁で出会い、共に生活し、楕円球を追いかけている仲間。
特に同期のつながりは素晴らしい財産です。
栄くんの時もそうでしたが、こうやってみんなで祝福する事はとても素晴らしいこと。

この光景を見て、僕は涙をこらえることができませでした。。

おめでとう島影!
素敵な大人になれよ!!

こんな感じのブログでいいですか?
ハクセンさん

 

はしもとの日々雑感③[フォワード日和]

 written by 橋本 悠投稿日時:2016/11/09(水) 11:24

 私がラグビーを始めたきっかけが慶応のラグビーにあることは、以前のブログでも述べた。自分が「やる」ラグビーは、ああいう風にひたむきでありたいと思っている。どうでもいいが、ラグビー伝統校である早慶明の「タテの明治」、「ヨコの早稲田」と比較して、慶応は「魂のタックル」がチームカラーとされている。タテでもヨコでもナナメでもない。
 一方、私が好きな「観る」ラグビーは南アフリカのラグビーだ。私みたいに身体が小さな人間にとってマネのできない、フィジカル重視のとにかく激しいラグビー。FWはステップなんか踏まずに、相手が前にいてもひたすら突進を繰り返す。タックルもめちゃくちゃ激しい。選手たちが血だらけになることも少なくない。生まれ変わったら、あんなラグビーを一度でいいからやってみたい。
 しかし、南アフリカのラグビーは、昨年日本にW杯で負けてから、あまりパッとしない。いま、南アフリカのスポーツは転換期を迎えている。国が、ラグビーを含むすべてのスポーツで有色人種の割合を60%以上にするように定めたのだ。本来なら、肌の色ではなく、選手のプレーで代表はセレクションされるべきだと思うのだが…。
 肌の色による差別つまりアパルトヘイトで、圧倒的多数を占める有色人種は、少数の白人たちに長い間、迫害されていた。その南アフリカは国際社会から非難され、W杯も第1、2回は出場すら許されなかったのは有名な話だ。上述の方針は、有色人種と白人の立場は異なれど、歴史を繰り返すものにならないか心配になってしまう。
 南アフリカでは、ラグビーは人気のスポーツで、国民の期待も大きい。日本ではありえないことだが、昨年のW杯で日本に敗北したとき、南アフリカの監督は国民に公式の場で謝罪した。それくらいラグビーのもつ役割は大きく、代表選手たちは、勝つことを運命づけられた存在でもある。そんな彼らが、肌の色だけでセレクションされていいのだろうか。
 1995年のW杯で優勝したとき、ラグビーを通して国は一致団結した。白人のスポーツとされていたラグビーが、有色人種のほうが圧倒的に多い南アフリカをひとつにした瞬間。肌の色ではなく、1つの楕円球が歴史を変えた瞬間。
 もう一度、その感動を味わってみたい。
  
 
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